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2010年06月

ドラマ「農ドル!」のサイトに撮影した写真を使っていただいています

農ドル!のサイトがリニューアル(ロケ後サイト)に変更されて、写真をふんだんに使っていただけました。

農ドル!

これの写真ギャラリーとか、僕のギャラリーでもあるよね。


放送は、島根県内で7月2日で、その2週間後に中国地方での放送です。
・・・早く全国放送してくれないかな~と期待中です。

ところで、A1サイズのポスターもできあがるはずなのですが、このサイズまで大きいものに写真を使ってもらえるのは初めてです。
(まぁ、実は劇中でのポスターで既に使われているんですけどね)

出来上がりが楽しみです。ところで、どこに貼られるんだろう・・・。
また、ロケ撮影の仕事とかやりたいな〜。

実はドラマに初出演です(エキストラだけど)

ところで、私事?で恐縮ですが、今回のドラマで、実は初のテレビでびゅうをしました。

まぁ、エキストラみたいなものですが、主演の平田薫さんと共演です。(とか言ったら良識ある人から怒られそうだな・・・)
監督がおっしゃるには、「演技は勉強している人でないと厳しい」とのことだったのですが、フォトグラファー役だったので「演技しなくて良い」ということだったのでしょう。
とはいえ、普段使わないようなセリフが脚本に書いて合って、「このセリフ言わないとダメですか?」とお伺いを立ててみたりもしました。・・・そうですか、言わないとダメですか。(どんなセリフかは、ドラマを見てください。カットされている可能性もありますが・・・基本的には背中出演です)

さて、で、カメラの枠内に立ってみて初めて気がついたことがあります。
[1]ライトが一杯焚かれていて、実はすごく「暑い」ということ。ハロゲンライトみたいなのは僕がよく使って、熱いことは知っていたのですが、立ってみるとこうなのか!と思いました。被写体に気を使わないとなぁ〜と。
[2]いざ台詞を言うとなると、どういう声のトーンで言えばいいのか、自分の声の出し方が果たして意図した通りに聞こえるのかどうか全く分からない・・・という不安を感じました。(だから、トレーニングや経験の中で、自分の「見え方」の地図を持っていない人は厳しいのかな?と思いました)・・・台詞を言うテンポや大きさ、トーンもよくよく考えたらすごく大事なはずなのですが、あまりに自分のことを知らなさすぎてすり寄せることができない・・・。そう考えると俳優さんってすごい!と改めて感じました。
[3]カット!!されてから、しばらくの時間、映像の見切り(写り込み)や技術関連のチェックがその場で監督や音声、記録担当で行われるのですが、その間の待ち時間の落ち着かなさは相当でした。それで良かったのか?などなど。結構、その場その場でのフィードバック、「ここがダメ」「ここはいいね」というようなのは欲しいと思ったし、俳優さんもそうなのかな??とも。

今後、自分の仕事の中でもこの経験は生かせそうな気がします。

快快(ファイファイ)の公演を見てきました

今日、「快快(ファイファイ)」という劇団の演劇を、知り合いの誘いで行ってきました。メンバーに友達がいるということでした。

演目は「shibahama」というもともとある落語の話をベースに「自由気ままにアレンジした」もの。劇団員は概ね僕と同世代らしいく、海外公演なんかも行っているらしく、演劇のことはよく知らないですが、新進気鋭という分野に入るのかと思います。

感想としては、「演劇」というより「イベント」に行ったという感じで、さらに言えば、楽しかったというより、「この人たち楽しんでいるな〜」と・・・。

今回の演目を見ていて「大人の学芸会」に行ってきたという言葉が自分の中でしっくり来ています。


自分たちがやりたいことを好き勝手にやっていて、それでいて「俺達がこんなに好きでやっているんだ。お前達も好きだろう?」というような厚かましさのようなものを感じ、そして、その心にトゲ刺すような感じが、ある種の疎外感と逆接的な心地良さを持たせてくれているようにも思えて、「う〜ん」と唸りつつも、次の公演にはまた足を運んでみたいと思わせるような、麻薬的な危険性があります。

その右脳的で自由な演出は、社会というフレームの中で生きている自分に気づかせてくれていて、「服をきて生活している」ことはあくまで一つの価値観であり、しかし、その価値観という枠から抜け出せない「自分」を突きつけられている様な、戸惑いも感じます。
とすると、日常からの逃避を色濃く提示するこの劇団のカラーは、傍観者に少し背徳的な後ろめたさと心地良さを与えてくれもします。

ただ、惜しむらくは、この「踊り狂う」ようなイベントには、最終的には参加できなければ到達できないカタルシスがあるはずであり、傍観者としてしか存在できないでいる自分にとってはやはり、羨望の眼差しで「大人の学芸会」を見に来ているに留まっている口惜しさがあるようにも思えるのです。

とはいえ、日常の生活から抜け出すことなんてもちろんできないことは分かっているので
、非日常空間を作り出してくれるぶっとんだこの人たちの公演を見に行くということは、まぁ少なくとももう一度くらい足は運ぶと思います。

常連になるか否かは、とりあえず次見て考えます。

ドラマ「農ドル!」ロケから帰ってきました

何気にご無沙汰な更新です。

余裕があれば松江滞在中にも何かしら更新を!!と思ったのですが、
ムリでした・・・。苦笑
そして、帰京後は溜まっていた仕事を片付けていて(別のまだ終わっていないのですが・・・)。
まぁ、twitterでツイートはしていたんですが、何気に忙しかったのです。

さて、松江のロケのご報告をば。

今回は、NHK松江局の地域発ドラマのロケの記録撮影に伺わせいただきました。
山陰地方というだけあって、どんよりとした天気であることが多いらしいのですが、クランクインからの一週間は時々曇りつつも、すごく晴れていました。(以前、松江に
行ったときもそうだった・・・)。

何気にその昔、デビルマンの映画撮影の現場やPV撮影でジャケット写真の撮影に、映像撮影の現場に同席していたことは過去に何度かあるのですが、本格的に記録ーそれも1週間近くともなると初でして、とても楽しみでした。(一週間もあると、通常とは違った仕事のでリフレッシュもできるだろうなぁと)。

全体的なところで報告をするなら、各職種のプロフェッショナルの人達が寄ってたかって、それも主体的にもの作りに励む現場で、刺激的で、かつ勉強になりました。
松江でのロケでしたが、東京、大阪、広島、山口、京都などの各地から精鋭が集まっていたようです。

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「撮・照・美」という言葉が映画には、あるらしく、良い作品作りには欠かせないとのこと。写真を撮る人間として、今回の仕事で特に興味をひいたのは、映像のカメラマンさんと照明さんでした。

スチールの現場では(※映像系の現場では、カメラマンは映像のカメラマン、写真はスチールと呼ばれます)、「光」を判断するのも、絵を切り取るのも、フォトグラファーの役割りです。ですので、今回、分野は違えども、カメラマンさんと照明さんの仕事のぶりを拝見できるのはとても興味を深いのです。

で、どこに目が言ったかというと、写真表現との違いーーです。

写真で何かを表現する場合、「枠内に収める」「省く」きながら一枚絵に表すことを考えますが(※もちろん状況によりけりです)、映像だと(当たり前ですが動くので)ファーストビューで映し出すものから視線を流していき、別の風景にも意味付けするということができるのだと感じました。写真では、視線を移したあとの風景を一枚のみで、同様の意味付はできないですから、やはりそもそも「意図を持たせる」場合には違ったアプローチにならざるを得ないのです。
(というのも、リハーサルで似た風景を記録しているからより強く感じました。あくまで裏方の裏方としての活動となるので、普段よりも制限が強いというのもあります)
だから、広角レンズの使い方も当然ながら違ってきますね。映像だと「視野の広がり」をとても強調できるような気がしています。
・・・単に画角や構図という面でも勉強になりました。


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写真の場合は、ライティング(lighting)はカメラマン自身(または、その指示の元アシスタント)が行う分野です。(照明専用の人がついているのは見たことないかな・・・レフ板とかも、編集者に持ってもらったりしちゃうし)。
場面場面のライティングの機微も面白かったのですが、写真と映像との違いをここでも感じました。それはやはりそもそも「時間軸」が存在する点。写真は「一枚絵」ですので、「今見えている」世界での絵作りになるのですが、映像は(まぁ、指摘されたら当たり前なのですが)シーン中に人が動くので、その都度、整合性が取れるように、稼動範囲やカメラワークを想定した上で「仕込む」こともします。動きのあるシーンでは、カメラマンと一緒にレフを持って動きますし、そうでなくても、演者が動いて振り向いたときに「光が当たっている」ということも大事です。
「どんな場面でも整合性が取れるように光が当たって——」と言うと「作りこんだ感じがしてイヤだ」という印象を持つ人がひょっとしたらいるかもしれませんが、ニュアンスは違います。そもそも写真などの絵を人見た時にリアルに(自然にと言い換えて良いかもしれません)見せるためには、そのままではダメなことがあるからです。
写真や映像で写す絵と人の目では「明暗」の見え方がそもそも違います——。それこそカメラが人が見たとおりに、そのまま再現できたらいいのですが、それができません。
例えば晴れた日に陽のあたる路地に基準を合わせて撮影してみると、木陰が目で見た印象よりも「すごく暗く写っている」なんてことはざらにあるのです。
普段、皆さんが見て、記憶しているものに近い形で「絵を作ろう」と思うと、光の強さを調整しつつ、「明暗差を少なくする」ということも大事なポイントになります。
僕が写真と撮る際は、目の前の風景とのギャップを楽しむことが多いのですが、仕事の内容によって使い分けることも大事で、要望や状況に応じて技術を選択的に提供できるということはプロであることの一つのファクターでもあり、今回のようなドラマだと、違和感を持たせないことがきっと大事で、そう考えると、本当に感心するばかりでした。

そして、現場では、人達に共通していたのが、「良いものを作るためには、労力を厭わない」というところです。費用対効果か等は常に考えてしまい時に効率化と質を天秤にかけてしまうこともある自分なので、躊躇なく実行する姿には思うところも多かったです。


「農ドル!」のサイトが更新されたら今回の写真をたくさん使ってもらえるはずなので、楽しみです。

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