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2011年06月

『<弱さ>のちから』(著:鷲田清一)

鷲田清一の「弱さの力」を読みました。

ケアをテーマに、様々な場面にいる13人にインタビューし、著者の視点を交えながら記録した本でした。

臨床哲学という分野の(開拓した?)先生ということで、まさに、臨床の場(僕たちにとっては、日常生活の空間と言うべきかも)で起こる様々な現象——それも僕たちがあまり直視しようとしない現実——。それと正面から向き合っている人たちに話を聞いています。

例えば、住職、いじめ問題に取り組む先生、家族のあり方を模索する建築家、性感マッサージ嬢、24時間介護を必要とする元教師、など。

このインタビューを通して見えてくるのは、自分たちは実はとても脆い存在であるということ、弱さを抱えているということ。
さらにいえば、その弱さを、直視しないで過ごしていること。

例えば、24時間介護を必要とする元教師のエピソードですが、介護を必要とするその人のそばには、毎日誰かしらがいるそうです。時給650円程度で誰かが誰かを連れてきて、誰かしらが居る。日々の介護は介護をする側の人間にしても大変なことであり、時に自分にその役割が任せられて居ることに腹正しくなることもあるかもしれません。でも、この介護に関わる人が、その人によって救われていると感じる場面があるのです。
介護者が自分の日常の中では、笑ってごまかしている悩みや苦しみを、その人になら打ち明けることができるそうです。

「弱さは強さの欠如ではない」と著者は書きます。
日常を生きる我々は強くあることを推奨されるのか、自分の弱さに目を向けることを避けようとします。(まぁ、自分の弱さを声高に叫ぶ人もいるわけですが……。)
だから、相手のむき出しの弱さに触れた時、最初は戸惑うのです。それはきっと、直視することを避けて来た自分の弱さを直面することでもあるからだと思うのです。でも、その弱さが、自分の強張った身体をほぐし、自分にもある弱さを引き出してくれるのです。


日常を懸命に生きている私たちには、自分の弱さに目を向けられるような機会が必要です。
でも、自分を振り返ると、大学を出て社会に出て、仕事をして行く中で、自分の感情を無味にしてきた気がします。それは、自分をすり減らさないようにしてくれる一方で、無感動にもした気がします。
本の帯にも書かれてある「『そこに居てくれること』で、救われるのはだれか?」……。それは多分僕で、それは多分今を生きる私たち一人ひとりなのだと思います。

自分の弱さにも目を向けて、時にはそれを受け入れること……。それを思わせてくれる本でした。肩ひじを張って、張りつめて日常と向かっている人、でもその生活の一抹の不安を感じた時は読んでみると良いと思います。


……前職では、看護の方を取材することが多かったのですが、看護は、相手の弱さを受け入れ、そして、そこに居てくれる尊い仕事なのだな、と改めて感じました。


<弱さ>のちから
<弱さ>のちから
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鷲田 清一
講談社
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